安久町内会はJR南仙台駅西側に広がる住宅地の中で、中田神社がある太白区西中田1丁目の一部と3丁目の区域の南半分、それに4丁目と5丁目の住民で組織されている自治組織です。2024年(令和6年)1月現在の会員世帯数は約1,000世帯で、太白区では指折りの規模となっています。運営に際しては全体を4つの区に分け、区ごとに班編制をしています。各種行事を通して会員相互の親睦を図るとともに住民同士の協力と自助努力をもって「安心・安全で住みよい街づくり」をスローガンに活動しています。
 主な活動としては、年間を通した公園清掃や花植え、夏まつり、防災訓練などを実施するとともに、ゴミ集積所の当番制による清掃管理で町内の清潔な環境維持に努めています。
 また、県政だよりや市政だよりなど行政が発行する広報誌の各家庭への配布、町内会が発行する「町内会だより」などの回覧を通して情報の共有化に努めています。


 このあたりは、以前は中田町字安久という町字名で、水田や畑が広がる平坦で肥沃な田園地帯でしたが、1972年(昭和47利年)に大規模な土地区画整理事業が開始され、1975年(昭和50年)から宅地の供給販売が始まると次第に住宅の建設が進み、新たに住み始めた人たちによって町内会が結成されました。名称は、それ以前から住んでいた人たちの「安久町内会」と区別するため「安久地区町内会」となりましたが、その後二つの町内会が統合し、令和3年度に現在の「安久町内会」という名称になりました。
 「安久」という地名は、仙台藩祖伊達正宗公に仕えた斎藤安右衛門という人物がこの地に隠居して「安休」と号したことが由来とされ、その後「安久」の字が充てられるようになったと伝わっています。現在の西中田という町名は土地区画整理事業の進展に伴い、1979年(昭和54年)7月1日に仙台市による住居表示が実施され、中田町字安久から変更されました。

昭和55年(1980年)3月の西中田、柳生地区
中田第一土地区画整理事業完成記念図から


 

真俯瞰の空撮画像で比較する、1980年と2023年の西中田地区。
(マウスオーバーで画像が替わります)※PCのみ表示